| ●2006年3月の風月譚 『谷口直之君の退職記念出版に際して 高校時代 と その後・・・』 |
| 昨年秋の叙勲で高校時代の友人谷口君が紫綬褒章を受けました。 糖鎖遺伝子なるきわめて難解な分野での活躍成果が認められたとの事です。 今春3月で定年退職との事で,退職記念出版に寄稿依頼を受け下記の文を載せていただく ことなり、小生の文が日の目を見るのは始めてですので、ここにも載せることとしました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 谷口君と私は,昭和33年から36年にかけて,北海道立札幌南高等学校に学んだ学友で あります。 退職に際し、谷口君に関わる思い出を寄稿する機会を頂きまして、多くの仲間に声を掛けて みました今日の彼に至った背景を、半世紀前の彼の実像を呼び戻すことで谷口君のはかり 知れない人物像の一端を紹介出来ればと思い、恐れながら引き受けた次第であります。 高校入学時は、戦争の後遺症からどうにか脱却出来,明るさを取り戻し始めた時期でもありま した市中では「南国土佐を後にして」とか「黒い花びら」がヒットした時期でありました。 当時の南高は全道の優駿が集い、3割以上の生徒は,越境入学でありました。 これら学友は,通学にかなりの時間をかけて部活などする間を惜しんで勉学に励んでいたの ですが,一部15歳から親元を離れて近くに下宿していた者は、かなり好き勝手なことをして おり,単なる進学校とは違う自由な雰囲気・校風を醸し出しておりました。 札幌一中時代からの「堅忍不抜」[質実剛健]の言葉の持つ重厚な雰囲気は、当時も残って おりました。 高校1年時は,南高に入学できたことに満足した者と、あくまでも目標への一里塚に過ぎない と考えた者との間に、明らかに大きな差がありました。 2年のクラス替えで谷口君と私は、同じクラス(2年8組)になりました。 毎日ホーム・ルームの時間に教室に入って来る人だな‐というのが第一印象でした。 性格は、温厚そのものの物静かな人で、当時から笑い顔の豊かな人でありました。 彼の出生地は東京でありながら,お父様の意向で何故か札幌の奥座敷と言われる定山渓へ の途中の簾舞(みすまい)という所に住んでおり,当時は今日のように交通の便も良くなく、 越境組の一人として毎日2時間を掛けて通学していたようであります。 この事は勉強するという面では、大変ハンデイキャップであった事と思います。 ところが彼は、成績の面で常に上位で一体何処で勉強しているのだろうと不思議に思うほどで したその答えがすぐに分かりました。 彼を良くみると頭の形が普通でないのですね!! 後に飛び出ているのです(今もそうです)飛び出た部分が,明らかに修学した知識が詰まって いることを物語り、これは遺伝子が違うのではないかという事となりました。 誰が言うとはなしに,彼を「ピテカン」と呼ぶようになりました。 頭の形状からこの名前が付いた事は容易にお分かり頂けますね。 3年になりましても学校は,特に勉強を強いることもなく全く自由に任しておりましたが、全員 自分の目的を持ちその目的に邁進しておりました。 彼とは違うクラスになりましたが、変わらず勉学に精励する姿を見ておりました。 南高から北大に進むのは何時も100人以上で特に,医学部には1割前後を占めるのが恒例に なっておりました私たちの代も、好成績で医学部に現役で5人入学いたしました。 その一人が,谷口君でありました。 後で知ったのですが,彼のお父さんも北大の医学部出身で戦時中軍医として応召され,昭和 20年6月にフイリピンで戦死されたとのことでした。 段々とDNAの違いが分かってきた訳ですが,お父さんの意思を引き継ぐ道が自ずと決められて いたのでしょうか・・ 大学(院)時代の彼の勉学に励んだ姿は,他の方に譲るとして後年「糖鎖遺伝子」の分野に 興味関心を持ったきっかけ,普段の研究に臨む姿勢を直截的に聴いてみました私の記憶の 中に「天才と単なる才能のある者を分けるのは,知性と情熱との合一の度合いの違い」 (塩野七生著:ローマ人の物語)という言葉がありましたので,学究に携わる者として 彼はどのように普段考え,行動の起点になっているかを知りたくなりました。 彼からのメールをそのまま転記いたします: |
| 研究をしていて、新しい現象に出くわしても、自らその実験データを率直に解釈できずに、それ までの世界の研究者の報告や、常識と思われていることや、それまでの文献などによる知識が かえって邪魔をして、間違いではないかと思って別の解釈をしてしまいがちです。 実験データをありのままに見ることがいかに難しく、抵抗があるかを実感してきました。 糖鎖遺伝子へのかかわりは、大学院生時代から、診断や治療につながるような肝臓がん細胞 に特異的な酵素がないかを探していたところ、肝臓がんの細胞からとったγGTP(ガンマGTP)と いう酵素にだけ特異的な糖鎖がついていることが見つかり、そのメカニズムを追っているうちに 糖鎖を作る遺伝子を発見し、その遺伝子の構造とその働きを明らかにしたのがきっかけです。 これを契機にいくつかの糖鎖遺伝子を世界にさきがけて発見しました。 |
以上の事は,E・Fシューマッハというイギリスの経済学者が記述しておりました内容と全く同じ であることに気が付き、驚きました。 研究者が陥り易い事として、「経験というマントを実験室に入る時に脱ぐことを忘れ,実験で示さ れていることを謙虚に受け止めず、新しい発見が身近に在るにも拘わらず見過ごしてしまう」 それは「柳は緑,花は紅(くれない)」の言葉に代表される真理の実存に対し、何ら興味・関心 を示さず当たり前と考える大多数の研究者との違いが,今日の彼を創り出した原点でないかと 推測が出来ます。 それと育った簾舞の自然環境,四季折々の天然自然の豊かな刺激が彼の感性を磨き、バランス のとれた智性を育んだのではないかと思います。 退職されるとの事ですが、今後とも独創性に溢れた発想で益々リーダーシップを発揮し、世界に 通用する後継者を世に送り出して頂く事を期待しております。 3年間という短い一時期に、机を並べた我々の学友がこのように活躍してくれる事は,我々の心 を豊かにし、改めて享有できる我々の財産であると感じております。 本当にご苦労様でした。 そして今後の更なる御活躍を心から祈念いたします。 |
| P/S 卒業は英語でGraduationですがアメリカでは新たなる挑戦の開始の意味でCommencement 使われるのも国民性の違いですかね |
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| ●2006年2月の風月譚 GOOD BYE Mr.CHIPS(チップス先生さようなら) |
| ●2006年1月の風月譚 新しい年 平成18年 |
| 2005年 | |
| 12月 | 酉年を振り返って |
| 11月 | トンカット・アリと6年 |
| 10月 | NHKラジオ深夜便 |
| 9月 | 智と徳 |
| 8月 | 終戦60年-怒りそして悲しみと苦しみの中で 戦争遺児として私の一言 |
| 7月 | 上期4題 |
| 6月 | 椿ちゃんは2歳 |
| 5月 | 25回目にあたって |
| 4月 | 4月は新たな出発の月=私の高校時代= |
| 3月 | 故郷 札幌 昭和30年頃まで |
| 2月 |
雪池忌によせて |
| 1月 | 酉年にあたって |
| 2004年 | |
| 12月 | 平成16年を振り返って |
| 11月 | 書物は知識の源泉 |
| 10月 | 故 野中 孝一さんと「SPIN トレーニング」 |
| 9月 | ハインリッヒの法則(1:29:300)とパン屋の経営 |
| 8月 | 私のPROJECT-X 甲子園への道(PART2) |
| 7月 | 私のPROJECT-X 甲子園への道(PART1) |
| 6月 | 6月10日は時の記念日 |
| 5月 | FENWAY PARKの思い出 |
| 4月 | お釈迦様と四聖諦八正道 |
| 3月 | 『起業5年目にあたって‐‐新たに知った事・新たな財産』 |
| 2月 |
『OFFSET BALANCE』(得たものと失ったもの) |
| 1月 | 『暴君の初夢』 |
| 2003年 | |
| 12月 | 『6歳のLADYに学んだこと 』 |
| 11月 | 『文化そして万歳三唱 』 |
| 10月 | 『GOLD FINGER 荒木 敏明 君 』 |
| 9月 | 『9月11日とイスラムの人々 』 |
| 8月 | 『戦後と58年後の今日 』 |
| 7月 | 『三色旗ー自由,平等,博愛 』 |
| 6月 | 『JUNE BRIDE (6月の花嫁) |
| 5月 | 『とつき十日の下宿屋の宿賃』 |