●2005年8月の風月譚 
終戦60年-怒りそして悲しみと苦しみの中で
戦争遺児として私の一言』


 今年は戦争が終わって丁度60年の節目にあたります。
戦争の遺児といわれる私のような立場の人は、すべて今年還暦を迎える事となり一つの節目を
迎えたことで,国が主催の「靖国神社」での合同慰霊祭もこの4月で終わりとなりました。
当日、遺児を代表して話された方も私と同年輩で、若くして未亡人となった母親の悲しみ、
そして子供と生きる事の苦しみを淡々と話されましたそれはあたかもセピア色の写真の中の
戦後間も無いあの当時の中に押し戻された感覚でした。
私は父親を戦争に応召された後生まれ、南洋のニュ‐ギニアで戦死したことにより、真の父親
を知ることなく今日まで参りましたが、今も脳裏に浮かぶ、忘れ得ぬ思い出があります。

 2歳か3歳の頃だと思うのですが,親戚の人から「今度、お父さんが帰ってくるからね」と言われ
何度も「恥ずかしいなー」と答えたそうですが、胸を時めかせてその日を迎えました。
暑い陽射しの中,黒く長い沈黙の列が近づいてきて、列の真ん中で母親が、首から四角い箱
を下げているのが目に入りました私は必死になって初めてまみえる父親を探しましたしかし、
そこには出会うはずの人はいませんでした。
 その時始めて私には父親はこの世に存在しないという冷酷な事実を否応なく、知らされまし
たあの暑い陽射しの中で父親の帰りを待っていた自分を今振り返えってみて、母親の歩み
の中に父親を見出せないほんの数秒の時間の過ぎ行く中に、希望から落胆そして悲しみに
いたったあの時の気持ちを表現する適切な言葉を見出せません。
 それからは現実のおかれた状況を甘受し、余り父親を意識せずに過ごして参りました。
祖父が何時も一緒に寝てくれ、家族の人数も少なくなかった事で特別父親が居ない事を
意識することなく過ごすことが出来たのですが、一度だけ泣いたことがありました祖父
の弟で昼から酒を食らう親類が近くにおり、その人の息子が同じ年齢であったので父親なる
存在をみておりました祖父に何かの件ですごく叱られた時「酒飲みでも何でもいいから僕に
もお父さんが欲しい」としばらく夜空を見ながら泣いていたことを思い出します。
 家族,特に父親の厳しさ,母親の優しさが車の両輪として子供の成長に欠かせないもので
あれば,私を始め多くの戦争遺児は飛行機で言えば片肺飛行で今日まで参りました。
事実ある時、息子と喧嘩をした際「親父は父親の存在を知らないから」と指摘を受け愕然と
したことがありますこの事は、子供を持って以来深く自分自身の子供たちへ大きな負い目
であったわけです戦争遺児が還暦を迎えましたそれぞれが家族を持ち,孫を持つ世代に
なりましたが、片肺から正常な航行に至るのに半世紀を要しているという社会の有様を語る
ものは、何もありません。

 60年前の戦争の終結に対し,私は戦争開始の責任もさる事ながら終結を遅らせた責任も明
らかにする必要があると何時も感じてまいりました。
ドイツにおいては、45年4月末にヒットラーが自殺し5月10日に降伏しました。
その後8月15日迄の3ヶ月の中で何が起きたかというと,沖縄での地上戦で23万人が亡くなり
ました6月23日に沖縄での戦闘は終わったのですが、7月26日連合国からポツダム宣言が
発表されてから8月15日迄には、広島長崎に原爆投下により23万人
が一瞬のうちに殺戮されました他方ソ連軍の満州侵攻で約60万人の関東軍がシベリヤに
送られ,在満の邦人開拓民ら20数万人が死に,親を亡くした数多くの幼児が置き去りになり
ました各地の戦争においても兵站路を絶たれた事で食料も無い、精神論のみが強調された
意味の無い戦闘が強要され、国内では連日連夜、B29の焼夷弾投下により計り知れない
生命、財産が失われました。
この3ヶ月の決断の遅れはなぜ起きたかというと,軍部が当時の「国体」の維持が可能かどう
かで空費したようです国民の生命財産を無視した軍部の横暴は、それはあたかも今日の
北朝鮮が、国体の維持に奔走している事と同様で、対岸の出来事ではなく,我々日本の軍部
も60年前にきっと同じ事をしていたのではないかと感じます。
英国のバートランド・ラッセル卿が論評しておりましたが、この3ヶ月の決断の遅れがその後
の世界の冷戦構造に多大な影響をもたらしたことは明らかでありますが,日本自体が蒙った
被害は以上のように計り知れないものがあります。
問題の先送り」は一体何なのか、その本質を日本人は考えてみる必要があるように感じます。
今も尚,銀行,大手自動車会社に見られるこの種の体質は我々の中に延々と潜んでいるよう
です幕末から明治時代にかけて多くの人が、いとも簡単に「切腹」をすることの記載を目に
するにあたり,今日の生き様は全く「責任を執る」とは無縁のようです。
戦後の処理に関して言えば,連合国に拠る極東裁判によりA級・B級などの判決がありました
が、戦争そのものを自らの手で「戦争総括」を行っていないことが、ドイツと比べて国際的評価
が低い原因の一つではないのかと気になります。
現在問題になっている「靖国神社」の問題に関していえば、戦後かなりの時間が経ってある名
のある孫にあたる当神社の責任者が、一方的にA級・B級戦犯を合祀し、今日の状況を作り出
したようですこの決定のもたらすその後の国際間の問題など念頭になかったと考えられます
が、これも戦争の総括を怠った「ツケ」が我々に今日暗い陰影を投げかけております我々日本
人の持つ「手前勝手」と「洞察力の欠如」は、これからの国際社会で経済力同様の地位を確保
するのは、出来るのでしょうか・・中々困難のようです。
戦後60年、誰にぶつけることも出来ない怒りそして悲しみと苦しみの中に、戦争遺児は過ごして
参りました今も尚、世界各地で起きる紛争と殺戮は、過去から一体何を学んだのでしょうか・・・

『過去に目を瞑るものは現在にも盲目となる』

P/S
 今年も「甲子園」の暑い夏がやってきました。
息子の13年前の出場,母校の5年前の出場、そして昨年大優勝旗が津軽海峡を渡るなど
豊かな思い出と新たなる希望・・生きていて良かったと感じますね・・
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●2005年7月の風月譚 
上期4題


●2005年6月の風月譚 
椿ちゃんは2歳

●2005年5月の風月譚 
25回目にあたって

●2005年4月の風月譚 
『4月は新たな出発の月
=私の高校時代=

●2005年3月の風月譚 
故郷 札幌 昭和30年頃まで

●2005年2月の風月譚 
雪池忌によせて

●2005年1月の風月譚 
酉年にあたって

2004年
12月 平成16年を振り返って
11月 書物は知識の源泉
10月 故 野中 孝一さんと「SPIN トレーニング」
9月 ハインリッヒの法則(1:29:300)とパン屋の経営
8月 私のPROJECT-X 甲子園への道(PART2)
7月 私のPROJECT-X 甲子園への道(PART1)
6月 6月10日は時の記念日
5月 FENWAY PARKの思い出
4月 お釈迦様と四聖諦八正道
3月 『起業5年目にあたって‐‐新たに知った事・新たな財
2月
『OFFSET BALANCE(得たものと失ったもの) 
1月 『暴君の初夢』 

2003年
12月 『6歳のLADYに学んだこと 』
11月 『文化そして万歳三唱 』
10月 GOLD FINGER 荒木 敏明 君 』
9月 9月11日とイスラムの人々 』
8月 戦後と58年後の今日 』
7月 『三色旗ー自由,平等,博愛 』
6月 『JUNE BRIDE (6月の花嫁)
5月 『とつき十日の下宿屋の宿賃』

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