●8月の風月譚 
私のPROJECT―X 甲子園への道(PART2)』


    私のPROJECT-X 甲子園への道(PART2)

 
 私のPROJECT-X甲子園への道(PART-2)
甲子園の第一歩として男児に恵まれ、どうやら左利きが明らかになったからといってこれらの
ことは、夢実現とは全く関係無いに等しい事でした。
本人が如何に野球なるものに興味を持ち,10数年間の練習に耐えるだけの根気を維持できる
かが次の関門でした。
小平市にはリトル・シニア-リーグがありましたので小学校2年になってから見学に行ってみま
した驚くほど学年別に部員が多く,また各年代毎に監督コーチ陣が充実し更に父兄が熱心で
あり,成績も中々優れたものでしたので,良い環境に委ねることで第二の関門をクリアーできま
したこのリーグに居た中で,本人は2軍に終始したのですが矢張り野球のセンスは明らかに
先天的なもので,母親が足が速いだけでは十分ではないんですね私の遺伝子(母親は自転
車に乗れなかった)では遺憾ともしがたいことを痛感いたしました具体的には,同年代の名を
成した選手として御存知、松井秀樹選手がおりますがダイエーの井口君(保谷リトル)、一時
阪神に在籍した山本君(八王子リトル),同じくヤクルトに在籍した清水君(小平リトル)などは
小学校の頃から体格、体の俊敏さ,球の捕らえ方,捕球の足さばきは教えて得るという物では
なくセンスの違い、更に驚くことにスターの雰囲気を持った人達でした本人は、小学校6年間、
病気一つせず皆勤を通し,運動会ではリレーの選手でしたが野球に関しては「並」のレベルで
終わりました中学進学に際し,野球を続ける際の通学時間のこと,良い指導者のいる学校など
考慮し埼玉の川越にある秀明学園に進学することにしました当時同高校を春の選抜出場に
導いた監督がおり,更に全寮制という規則の中で過ごすことも、この時期良いのではないかと
の判断で選択しました。
高校1年の夏の大会では埼玉のベスト4まで勝ち上がり、さてこれから勝負と思った矢先,
当監督が辞任してしまいました野球の特待生として高校からの入学を認めない事への方針
変更で選手数は22人となり,残念ながら本当に野球が出来る生徒は15人前後と甲子園は
あっという間に遠くに行ってしまった気分となりました。
その後を引き継いだ青年監督浅見さんは限られた戦力の中で個々人の技量の向上と役割を
明確に与え夏の大会に照準を当てた準備を始めました。
具体的には、2番打者として必ずバントを成功させ進塁を図ることが出来るよう大会まで
10,000本の特訓を命じられたようです毎朝マシン相手に200本を50日間することになり
ます更にチームとして163校の頂点の立つには7回勝ち続けなければならないので練習試合
を通して実践したようです。
このように浅見監督は目標を明確に与え,それの伴う個々人の技量向上を課したようです。
第74回夏の大会の組み合わせ抽選で何と第二シードの大井高校との対戦が決まりました。
同校は前年の秋の関東大会に出場し,速球投手を要する強豪高校でした。
未だ梅雨の明けない7月中旬の朝霞球場に着くなり、「早朝練習で左手中指にボールをぶつけ
投げれない」との情報を得ました後で聞いたのですが,相手投手を考え普段より2Mマシンを
近づけてのバント練習でぶつけたとの事でした瞬間「あー甲子園は終わった」と頭をよぎり
ました相手先頭打者のライトオーバーの3塁打に始まり初回に2点先取され相手投手を考える
と「これまで」と更に追い討ちを食らった気分でした。
ところが,その裏の先頭打者の出塁を本人の練習通り進塁させることが出来、気がついたら
8対2で完勝の試合でしたこの逆転勝ち(COME-BACK WIN)で波に乗り以後5回の試合
すべて逆転勝ちで決勝戦に勝ち残りましたこの間2週間余あったのですが,米国出張と重なり
たまたま埼玉TVの放映があったので電話で聞き続けたら電話代金が16,000円となったり,
土曜日の試合が最後となるのではないかと金曜日の会議を首になる覚悟で無断帰国したり
すべてが埼玉の球場に特化された時期でした。
決勝戦は伊奈学園で好投手を擁し,前評判では圧倒的に不利な状況でした。
案の定,エースの疲労を考慮しほとんど未経験の選手を先発に使いました所,前半で3点の
先取点を与えてしまい敗色濃厚の展開となりました中盤の5回に2点を返し、尚ランナー3塁に
打席が回ってきました打席に立つ位置を見ていたら捕手側に立ったのを見て「スクイズはしない
なー」を思った一球目に三塁線に絶妙の同点スクイズを決めその後息を吹き返し気がついたら
最終回を迎えました点差を詰められましたがどうにか最後の打者を3塁ゴロに打ち取り埼玉県
の代表として甲子園の出場切符を得ることが出来ました。
7月31日の決勝戦から甲子園の入場行進その後の試合までの本当に短い期間は、今思い出
しても私の人生において最も幸せな瞬間であったと思います。
甲子園で奈良の名門天理高校と対戦し、ここでも進塁打となるバントヒットを決め一時は先行
する試合でしたが,エースの足に打球があたり交代をせざるを得ず結果大敗を喫しました。
以上30年間に及んだ私の甲子園の夢のPROJECTですが,これはPROJECTという名に値し
ないものとは重々感じておりますここで申し上げることを付け加えるとすると,先ず夢は持つ
こと、そして何時までも夢実現に配慮,努力をすること、夢は個々人一人では達成できないが
浅見監督のような立派の指導者の許でチームとして力を合わせることで少ない可能性に挑戦し
栄冠を掴むことは、NHKのPROJECT-Xに共通しているのではないかと思い,この表題を使わ
せていただきました
現在の巨人のように4番打者ばかりでは試合にならない時もありますし、本人のようにバント
しかヒットを打てない,チームに貢献できない人生も必要だなーと感じております。
決勝戦の流れを変えた同点スクイズは全く同じ瞬間に一塁側と三塁側から写真の撮られ,翌年
のパンフレットの中に取り上げられ,更に埼玉大会の回顧の中で同点スクイズとして放映される
のを見ると私よりものすごく大きな事をやったんだな-感じます
何と言っても本人にとって大きな財産ですし、甲子園出場のユニフォームに背番号9を縫い付け
る時の母親の嬉しさを忘れることはありません。

「甲子園 夢のまた夢 晴れ舞台 長く語らん 背番号 9」
P/S
さて今年の甲子園青春劇場はどんなドラマを見せてくれるでしょうか・・・
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