●5月の風月譚 
FENWAY PARKの思い出』


 FENWAY PARKの思い出

 今年のMLB( MAJOR LEAGUE BASEBALL )は3月末、東京ドームで幕をあけました。
日本人選手も今では10人を超えておりMLBに挑戦する姿を見るのは何か勇気を与えてくれ
ます。特にニューヨーク ヤンキースとボストン レットソックスの試合は日本のチームに置き
換えると,さしずめ巨人阪神戦の重みがあるようです。
特にボストンの人々にとってこの10年以上、万年2位でPLAY-OFFに出たり出なかったりの
連続で、出たとしてももう一息で敗退を繰り返し満願成就しないことが10月の恒例となり、
その絶望感が灰色の空にいたく合うそうです。
特に昨年のアメリカンリーグのチャンピオン決定戦は松井選手の活躍でまたもヤンキースの
軍門に下りました。
私が初めてMLBを観たのがボストンのFENWAY PARKであったこともあり特にボストンには
思い入れがありますが、過去5度ほど大リーガーのプレーを観戦できましたので、ちょっとした
思い出を述べてみたいと思います。

 最初に観たのは1978年4月の4日前後だったと記憶しております。GREENRIDGEという
所から地下鉄に乗ってFENWAY PARKに行ったのですが,地下鉄に乗る前に陸橋を渡ろうと
したとき,下の公園で少年が一人でトスバッティングをしてました。私が渡るのを見つけて突然、
私めがけてフライを打ってきました。
ほんの一瞬の出来事でしたが、そのボールは体の真正面にストライクで飛んで来たので
取ることが出来ました。少年はそれを見て大喜びで拍手をしてくれました。
すぐにボールを投げ返し手を振って別れたのですが、あの一瞬の思い出をFENWAY PARK
の球場を見ると思い出します。
もう26年前のことですので彼も今は、35歳前後になったんだろうな-と思っております。
 球場に入って外野の立ち見席(BLEACHERSといいます)を通り一般外野席に座っており
ますと、7、8歳くらいの少年が隣の席を"Is it Taken?"(あいてるー)と声をかけてくれたのを
きっかけに話しをし、ポップコーンを買って一緒に食べた記憶があります。
FENWAY PARKは1912年に開場した最古の球場で(2番目はシカゴのリグレイ球場)
レフト側にGREEN MONSTARという約11メーターの壁があり、その裏にボストン・
ニューヨーク間を結ぶMASSPIKEというハイウエイが走っております。
球場が先にあり道路を通すために今日の形状にしたのか,最初からこのような球場であった
のか良く分かりませんがBOSTONの人々は、こよなくこの球場に愛着を持っているようです。
球場全体はあたかも100年前の写真のように陰影がぼけ木造と石が長年の風雪に耐え
丸みを帯びアメリカ創世期の名残を今も残す数少ない場所と言えます。
このような場所は余りありませんので殊更、大事にするわけが良く分かります。
この2,3年のうちに3チームが最新設備をもったBALL PARKに生まれ変わるニュース
を聴きましたがFENWAY PARKに関しては1度もきいた事がありませんので、きっとこのままの
変形球場でいくことでしょう。
ボストン レッドソックスは最初からボストンで生まれたチームではなかったようで最初の頃は
もう一つボストンにチームがあったそうです。
ボストン レッドソックスはベーブ・ルースをはじめ左打者に好選手が多いようです。
最後の4割打者のテッド・ウィリアムス,日米学生野球で活躍したフレッド・リン、3000本打者
であるカール・ヤストレムスキーなどが特筆できます。
当時ヤストレムスキーは40歳前後でさしずめ王選手のような存在でしたが内野ゴロでも全力
で走るのをみて基本に忠実に当たり前のことをやり遂げることに感銘を受けましたね。
強打の面ではJIM RICEという強打者がおりましたが、彼の打ったホームランは一瞬の内に
グリーンモンスターを越えてハイウエイまで飛んだのではないかと思うほどすごいパワーに
唖然としたことが記憶にあります。
後日談として、彼はボストン レッドソックスに多大の貢献をしたので引退式を行うことになったの
ですが、何が不満だったのか当日現れることなくそのまま野球界から去ったようです。
26年前にTEXAS RANGERSにOLIVERという選手がおりましたが彼が記憶に残るきっかけは
最初の「背番号0」であったせいですが、その後日本にもおおくの「0」背番号の選手が出現
しました。

昨今、日米野球の比較論が多数ありますが私の感じたこととして先ず,球場に防護ネットが
最小限であることで、プレーしている選手と観客に一体感があります。
いつボールが飛んでくるか分かりませんのでみんな一生懸命ボールを追っかけていることは
確かです。
それとHOMEの95%以上、地元のフアンですので相手チームの打ったホームランはグランドに
投げ返すほどはっきりしておりHOMEとAWAYの落差は日本の比で無いようですね。応援のし方
に関しては、BASEBALLと野球の差があるように大きな差がある事は御存知のとおりで,野球
観戦にどちらがいいかは好き好きでしょうが、球場全体を取り囲む家族感・おらがチームの満足
感は鉦や太鼓が無くても感じ得ることができることは確かです。
技量の面では先ず肩の強さにびっくり,内野手は強打に備えて、ぎりぎり深く守っており打者も
全力で走ることで間一髪の緊迫感がありました。

次ぎにゲームの進行に関してですが、MLBは直線的なリズムで進みますが、日本のほうは
投手も打者も『間』をとりいわゆる相撲のように阿吽の呼吸を楽しむかのように打者は打席を
離れ、投手はマウウンドをはずして時間をかけます。
従いましてMLBを観なれてくると日本の野球は「間延び」しているように感じますし緊張感に欠け
るのではないかという気がします。
松井(秀)選手は他の選手と比べますと打席をはずす機会が多いように感じますが気のせいで
しょうか?
今年はBOSTON REDSOXも「バンビーノの呪い」から開放され宿敵ヤンキースに6戦5勝1敗と
先行しておりますので10月には例年と違う秋を迎えることが出来ることを楽しみにしております。


P/S
当時DETROIT TIGERSの三塁手にMANKOSKIという名の選手がおりましたが、もし日本でプレー
する際はなんと呼ばれましたかね--
ちなみにMANKOBICHの名の選手はマギーと呼ばれておりました(西鉄時代かも??)
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